無理ゲー社会
自分らしく生きるなんて無理ゲーだ
世界は多様性を認め合おうと声高に叫び、自分らしく生きることを肯定しようとしています。しかし、自分らしく生きるって…いったいどうやるんだ?と思ったことはないでしょうか。日本や世界で一番になれるような才能なんてないのに、どうやって夢を持てばいいのか?なんだか長く生きることが無価値に思えたことはありませんか?
わたしもいつも考えてしまいました。自分らしいっていったいどういうことかと。
その息苦しさの理由を解説しようとしてくれているのが、本書”無理ゲー社会(橘玲著/小学館)”です。
こんな人におすすめ
- 自分らしく生きるということに違和感がある人
- 頑張りたいのに頑張れないと感じる人
- 子育てに役立てたい人
本の概要
文章の構成
橘玲さんの著書は、やや強めに理由を提示していくので、もしかしたら好き嫌いがあるかもしれません。
ただ、内容の濃密さはすばらしいと思います。
以前別の著書で”上級国民/下級国民(小学館新書)”を読んだときがあるのですが、当時はあまり知識もなくて「何を言っているんだ…?」と思っていました。
知識がついてくると、そういうことが言いたかったのかと納得できる部分が多いので、あらかじめ関連知識がある状態でこちらを読むと、いかに網羅的に書かれているかがわかるのではないでしょうか。
自分らしく生きるとどうなるか
いま日本で暮らしていて、すでにお気づきの方も多いと思いますが、現代は「個人」の時代であると言われていますね。
自分の責任で、自分の好きなように生きる。
昔の人々は身分制社会の中でそれが許されなかった。だから、昔の人からしてみれば、とても幸福な時代なのかもしれません。
ただ、みんなが自分らしさを求めた結果、中間共同体が解体し自己責任が強調された、と著者は表現しています。
個人が強調されると、町内会の催しってなんだか面倒ですよね。そんなのやりたい人だけでやってほしいと考えたりする。そしていつの間にか廃れてなくなっている。
また、会社は家族だ!みたいなことを言って、上下関係を守って働くことが美徳とされた時代は終わり、会社はお金を稼ぐ場所にすぎないものになってきた。どんな生き方をしてもいいのだと。正しい生き方なんてないのだと。
私たちは、生きることを誰のせいにもできなくなっているようです。自分らしく生きるということは、成功も自己責任・失敗も自己責任であるとされるのです。
メリトクラシーとは何か
intelligence+effort=Meritocracy(by マイケル・ヤング 1985)
この式にあらわされているのは、良いことのように思えますよね。知能に努力が合わさって出来上がるものは、きっと自分の能力の証明になる。貧しくても賢ければ、頑張ることができれば、良い人生になるんだと信じられる。
そうして世の中は階級によって縛り付けられる社会からの脱却を目指しました。
しかし実際には、階級を捨てたら「知能」による格差が生まれるようになってしまったのです。
努力すれば、学歴・資格・経験は向上させることができると思っていたが、有能な親から有能な子どもが生まれてくるわけで、実際には有能な者同士の結婚が行われるじゃないか。
4歳児ですら、能力の高い低いを見分け、相手にどれくらい利用価値があるのかを無意識に見積もることができてしまう。そういう研究結果もあるようです。有能な者に魅力を感じるのは、もはや本能レベル。
高い成績を取らなければ成功への道が閉ざされる。メリットを持たない人たちは自尊心を奪われて、絶望するしかない…それって果たして平等なのでしょうか?
こころはどのようにしてつくられるのか?
エリック・タークハイマーが発表した行動遺伝学の三原則に
こころ=遺伝率+共有環境+非共有環境
という式があると紹介されています。しかも、パーセンテージ的には、ほとんどが遺伝+非共有環境なのだそうです。
つまり、こころの状態を決めるのは、遺伝と、親や兄弟姉妹とは共有することがない外部の環境・友達集団の影響であるということです。
並外れた才能は遺伝であることが多く、平均的な能力は遺伝が半分・育ちが半分。
わたしたちは何となくその事実に気づいていますよね。だからといって、抗えないじゃないか。だって、誰から生まれるかなんて選択することが不可能なのだから。
無理ゲーで足掻く
自分らしく生きて、幸せになりたいのです。誰だって。かといって世の中は平等じゃない。
だけど、それが当たり前にそこにあることを著者は語ります。
格差がない平等な社会が実現できたとして、はたしてそこには悲しみも、苦しみも、喜びも…あるのでしょうか?残酷かもしれないけれど、格差はある。その中で社会的に・経済的に成功して、評判も性愛も勝ち取ろうというゲーム。しかもそれはたった一人で達成しなくてはならないゲームです。
まさに、”無理ゲー”ですね。
なんとかして、生き延びよう。足掻けるだけ、足掻いていこう。本書の最後には、今を生きる人たちへのエールが込められていました。
感想
なかなか衝撃的なことを語っている本ですよね。でも納得はしてしまいました。
結局人は、生まれ落ちた環境の中で成長し、見聞きしたものの中から自分の人生を選択していく。それなら、差はあって当然ですよね。
今はインターネットで世界がつながっているので、色々な成功例を見ることができます。そうすると、自分の選択肢は広がって確かに嬉しい。チャンスが自分にもある!と信じられる。
ただ、叶うかどうかは自分の能力・努力によります。きっと、改善できない部分もあるでしょう。わたしは今でこそ本で学びを得るようになって、心が落ち着いていますが、数年前は受け入れることができていなかったです。
頑張れば自分だってこうなれる、と信じていました。でも頑張れないんです。なぜか、理想に届かない。届かないのは自分が悪いんだと思いました。どうやったらいいのかわからなくて、誰かに救ってもらいたかった。
この本を読むと、逆にすっきりすると思うんです。
足掻けと言ってくれるだけで嬉しいと感じました。なんだか勇気が湧いてくる。
この本は、自尊心が傷つき、落ち込んでいる人にほど読んでほしいなと思っています。自分の能力のなさを痛感させられる気がしてちょっと辛いかもしれません。でも、どんな生も肯定してくれている気がするのです。
まとめ
- 自分らしく生きることは成功も失敗も自己責任だということ
- メリットを持っているかどうかで格差のある世界だ
- その中でも足掻いて生きていこう
あわせて読みたい本として、”実力も運のうち 能力主義は正義か?(マイケル・サンデル著 鬼澤忍訳/早川書房)”があります。こちらにもメリトクラシーに関する記述があり、無理ゲー社会の中でも紹介されていました。気になる方はぜひチェックしてみてください。
※英文タイトルは”The Tyranny of Merit-What's Become of the Common Good? (Michael J. Sandel)”です。
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