生物から見た世界
人間以外の生物たちは世界をどのように感じているか
今日ご紹介するのは、生物たちのお話。
少し古い本にはなりますが、「環世界」という言葉を提唱し、生物たちの知覚の違いから世界の見え方を広げてくれる一冊です。
”生物から見た世界(ヤーコプ・フォン・ユクスキュル、ゲオルク・クリサート著/日高敏隆、羽田節子訳/岩波書店)”は科学の古典としても有名です。
古典ってすごいなーと感じるようになった今日この頃。魅力的な本は時間が経っても心打つものがあります。時代に合わせて訳し直してくださっている方々に頭が下がります。
こんな人におすすめ
- 生物が好きな人
- 人間世界に疲れ気味の人
概要
文章の構成
”環世界”というものを様々な生物の観点から紹介していく1冊になっています。
環世界はユクスキュルが提唱した生物学の概念で、
「すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、それを主体として行動している」という考え方を指します。
様々な生物たちを観察した実際の研究をいくつか紹介し、われわれ人間とは違う知覚をする生物たちの様子から、彼らが同じ地球の上でもまったく別の”世界”に生きていることを伝えるものです。
正確には、ありのままの自然がそこにあり、それをどう知覚するかが種によって異なる…というようなことだと認識していますが、見えるもの・感じるものが違うのだから、まったく別の”世界”であると言ってもいいですよね。
人間は世界をありのままにみることはできない、とされていますが、よりそれを強く感じさせるような内容です。
ダニの世界を知る
本の最初で紹介されるのがマダニです。
マダニは視覚を持ちません。聴覚も持たない。ただ哺乳類の皮膚腺から出る酪酸の匂いを感知できるそうです。
運良くマダニがいる木の下を哺乳類が通ってくれれば、それを感知して落ちていく。おいしい血のごちそうにありつくことができ、産卵ができる。しかしそれは死ぬことと同義で、産卵したらあとは死ぬこと以外にすることがない…
人間感覚で言えば、儚いような、悲しいような気持ちにさせるような一生です。
さらに、ごちそうに辿り着けるかどうかは完全に運。マダニはその時がくるまで絶食が可能なのだそうです。ロストックの動物学研究所では、18年間絶食しているダニが生きたまま保存されていたとのこと…!
これらから、人間と同じ感覚で生物を認識はできないし、ある生物をまるで人間かのように扱って判断しようとすることは、ちょっとお門違いな気がしてきます。
P26 この幻想は、世界は一つしかなく、そこにあらゆる生物がつめこまれている、という信念によって培われている。
そのような空間がありえないことは、一人一人の人間が、互いに満たしあい補いあうがなお部分的には相容れない三つの空間に生きているという事実からすでに明らかである。
と、ユクスキュルは述べています。
様々な生物たちの世界
人間にとっての「一瞬」は十八分の一秒です。ではカタツムリはどうでしょうか?
ある実験で、カタツムリの知覚では、一秒に4回振動する棒はすでに静止した棒になっている、と報告されました。
つまり、カタツムリの環世界では、人間よりもはるかに速い速度で時が流れている…というのです。あんなにゆっくりと動いているように見えるのに、彼らにとってはまったく別の時が流れているのですね。
そのほか、「カラスはじっとしているキリギリスはまったく見えず、跳ねて移動するときにはじめて認識できる」という話や、
「ミミズは葉を味で判断している」こと、
「ミツバチは星形や十字型の図形に好んでとまる」こと、
「魚はためらうことなくなじみの道を通る」ことなど、
様々な生物たちの行動を知ることができます。
多様な種の共存・共生ができるか
P79 われわれ人間は、ある目的から次の目的へと、苦労しながら自分の生活を進めていくことに慣れているので、ほかの動物も同じような生きかたをしていると信じて疑わない。
ユクスキュルは、環世界を観察するときは、「目的」を捨てることが大切だと述べています。
ただ、犬を盲導犬として調教するときや、生まれたばかりで捨てられた雛を飼育するときなど、少しでも人間社会のルールを取り込んでしまったら、その生物は自分の種の社会を拒絶する可能性が高くなると言います。
生得的なものがあるにしろ、生まれてから認識した世界の見え方が大きくその個体の一生に影響する…
そう考えると、多様な種の共存・共生をするには、関わりすぎないことも必要になるでしょう。世界中の動植物学者たちの振る舞いの意味が見えてくるかもしれませんね。
感想
種の違う生物たちのそれぞれの環世界が紹介されている本書ですが、これは人間社会のそれぞれの人間についても同じように考えることができると思います。
P165 人々が「良い環境」というとき、それはじつは「良い環世界」のことを意味している。
とユクスキュルが表現していますが、これは人同士にも言えることですよね。
誰かにとって最高の環境が、誰かにとっての地獄の環境かもしれない。
それぞれに主体があって、それぞれに人生があるのだから、共存・共生していくにはお互いへの尊重が大事になるし、どの生き方も否定ができない気がする。
ずいぶんと話がすり替わってしまいましたが、この本を読んでいたらそんな気持ちになりました。
まとめ
- 環世界という考え方もある
- 人間社会のルールが地球上のすべてではない
- 多種多様な生物たちに目を向けてみよう
作中には挿絵がいくつか登場するのですが、こちらもユクスキュルが描いたもののようです。観察が仕事になる人たちは、総じて絵が上手い気がします。
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