雪国

 ノーベル文学賞受賞作家の文章を愉しむ

2023年になって最初の投稿は、日本を代表する古典文学作品となります。

”雪国(川端康成 著/角川文庫)”を読み、言葉から情景や感情を想像するということを教えてもらいました。


こんな人におすすめ

  • 川端康成作品に初挑戦するという人
  • 海外でも人気であった日本人作家の作品に興味がある人



概要          

簡単なあらすじ        

”東京の下町出身である島村は、駒子という芸者と出会い、なじみになった。今回も駒子に会うために島村は彼女のいる温泉場を再び訪ねようと雪国へと向かっていた。その汽車の中で、島村は病人の男に付き添う恋人らしき娘・葉子になぜか惹かれる。

温泉宿に滞在しながら、島村は駒子と共に過ごし心を通わせる。しかし、島村はいつかは温泉宿から東京へと帰ってしまう男であった。ずっと一緒にはいられない関係の二人と、葉子という娘。彼らのひと時の物語である…”



文章の構成          

こちらの作品の冒頭はあまりにも有名ですね。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。

これだけで、喧騒を離れて田舎へと走っている汽車の姿が浮かんできます。雪の白色に朝の白さが重なって、しんとした音の少なさも想像できてしまいました。この作品が書かれた当時の人ならなおさら強く感じたかもしれませんね。


読み進めていくと、その文章の「清々しさ」に気づきます。

言葉の中にいやらしさが全然ないことに気づくのです。

文章中にも、いかに駒子が”清潔”な存在であるかがよく語られています。島村という男に好意があり、身も心も親しくなっていく。でもその駆け引きにはどろどろしたものがなくて、純粋さと正直さが伝わります。


  • 情景がせつなく伝わる言葉の美しさ
  • 濡れ場のない清々しいエロティシズム

を愉しめるのも特徴ですね。



葉子の正体を考察する※ネタバレ注意※

以下、私の予想も混ぜてのネタバレを含みますのでご注意ください。



島村は駒子に会うために何度か温泉町を訪れるのですが、島村には妻子がいて、駒子にも旦那さんがいることがわかります。

二人は惹かれ合っている関係であるけれども、一緒にいるのは一時だけ。いずれは離れることになる関係です。島村は後ろ髪惹かれつつも割り切っているところがあって、東京へ帰ることは揺らぎません。でも駒子は違います。駒子は明らかに旦那と別れたがっていて、島村と一緒にいたい雰囲気がひしひしと伝わってきます。


ここで葉子について考えみましょう。

葉子は行男という病人の看病をしている娘です。葉子の娘というわけではなく、行男の恋人らしき存在で、行男が亡くなるまで献身的な世話は続いていました。

行男は駒子と幼馴染で、駒子の許嫁であるという噂もあった人物でしたが、駒子はそれを否定していました。葉子と駒子の関係ははっきりとしておらず、二人の関係性は文章の中ではよくわかりません。

ただ、「駒子が病気の許嫁のために芸者になった」という一文から、この物語の想像が一気に膨らみました。


葉子=駒子の許嫁を大切にしていた気持ち・愛に正直な気持ち

駒子=割り切って芸者として生きていこうとする存在

と考えてみると、なんだか腑に落ちる気がするのです。


行男は長く生きることはできない状態です。それを見送ることには相当な辛さが伴います。

その逃避の結果、駒子と葉子という2つの存在が生じたかもしれない…と思うとなんだか面白い。


島村は駒子を「いい女だ」と表現していますが、葉子にも惹かれています。2人はきっと1つの存在で、島村はその両方を大事にしているように思えるのです。


作品の最後では、長く温泉町に滞在していた島村にいよいよ帰るときが迫っていました。そんな時、大きな火事が発生します。そこで葉子は燃える繭蔵から逃げようと2階から飛び降り、地面にたたきつけられてしまう。かすかに痙攣した後、葉子は動かなくなってしまいました。

この場面を読むと、駒子の中の許嫁への気持ちと、さらには島村への想いも一緒に動かなくなってしまったような…そんな気持ちにさせられるのです。


かなり個人的な妄想を含んだ考察となりました。皆さんの予想はどうでしょうか?ぜひコメント欄で教えてくださいませ。



感想          

読後は清々しさだけが心に残っていました。やたらとさわやかな気持ちでしたね。ただ、この物語が何を言いたいのか?はすぐにはわかりませんでした。

時間が経ってから改めて作品背景を調べたり、考え直したりしてみると、必ずしも登場人物が「人」ではないということがわかってきて、より物語が面白く感じられるようになりました。


調べていくと、どうやら駒子にはモデルとなった女性が存在するようでした。島村は川端康成自身ではないようです。もしかすると、島村もまた葉子のような不定の存在で、”駒子”という人物を描き出すための役割なのかもしれません。

人生の哀しさと美しさを謳った作品である、と紹介される「雪国」ですが、まさにその2つが共存しているなと思いました。

日本を代表するとされるような作品に多く触れ、言葉の感度を上げていけたらもっと楽しいでしょうね。



まとめ         

  • 繊細な言葉の表現を愉しもう
  • 登場人物たちの心のゆらぎを想像しよう

川端康成作品は、海外でも非常に評価が高いようです。美しい言葉の芸術は、いったいどのように翻訳されているのでしょうか?日本語で読み解いた後は、外国語でも読んでみたいですね。

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