コンビニ人間【2016年芥川賞受賞作】
コンビニを通して”普通”になる
今日ご紹介するのは、2016年に第155回芥川賞を受賞した作品”コンビニ人間(村田沙耶香 著/文春文庫)”です。
有名な作品ではありますが、こちらを2024年に初めて読むこととなりました。
”普通”とはなにか?を問い、リアルな現代の姿を表現する一冊です。
こんな人におすすめ
- リアルなテーマの小説が好きな人
- 女性主人公作品が好みの人
※以下、少々ネタバレありで進みますのでご注意ください↓↓
概要
簡単なあらすじ
36歳未婚、彼氏なしの古倉恵子。彼女は幼いときから自分と周囲の人たちが”違う”のだということを感じさせられていた。周りの言う”普通”の世界に溶け込むため、分析と実験を繰り返してきたつもり。それでもままならない日々だった。何とか大学生となったが、自分が世界からはじき出されたような存在であることを感じながら生きていた。
そんな中、彼女はコンビニのアルバイトの張り紙を見つけ、アルバイト生活をスタートすることになる。それが彼女の人生を大きく変えることとなった。
そして気づけばアルバイトを始めて18年が経過。マニュアルにのっとり行動し、変わらずそこに在ることで、自分が世界の一部であることを肯定してくれる日々。しかし、新人のアルバイト・白羽がやってきたことで、彼女の世界は大きく揺らぎ始める…。
ここがすごい!日常の何気ないシーンをどう表現しているか?
何気ないワンシーンでも、どんな言葉で表現するかでその見え方はガラッと変わるものです。どの小説でもいえることかもしれませんが、こちらの作品ではそれが特に光っています。
主人公である古倉恵子自身が、共感力や感情そのものが乏しい存在であり、周囲の人が抱くであろう”普通”の”一般的な”思考をしません。
P10 皆口をそろえて小鳥がかわいそうだと言いながら、泣きじゃくってその辺の花の茎を引きちぎって殺している。(それをお墓にお供えしている)
P44 皆、変なものには土足で踏み入って、その原因を解明する権利があると思っている。
P59 皆が笑い声をあげ、私も「そうですね!」と頷きながら、私が異物になったときはこうして排除されるんだな、と思った。
などなど。客観的で鋭い風刺に、なるほどと唸らされることが多いでしょう。
また、随所に登場する、「変化しているけれどずっと同じ」であることの表現も非常に面白いです。
P35 18年間、「店長」は姿を変えながらずっと店にいた。
P44 オープンした当初のものはもうほとんど店にない。ずっとあるけれど、少しずつ入れ替わっている。
P59 昨日売ったのと同じ、けれど違う卵を入れる。
たびたび、世界の一部であるとか、細胞の入れ替わりが表現されているこの小説。
同じだけど、同じじゃない。
繰り返される普通の毎日は、普通だけど、同じじゃない。ここが非常に大事なメッセージになっていると考えられます。
古倉恵子という存在が表す、”普通”への問題提起
主人公はずっと正常とされる人たちとは違う人間であることを突き付けられてきました。
親たちは、彼女をなんとか”普通”の存在にしようと努力し、彼らなりの愛情を注いできた。でも彼女は家族が求めるような”変化”を遂げることができませんでした。
彼女は何が悪いのかわからないままでも、家族に愛情を注がれていたことがわかっているので、迷惑をかけないように行動を選択しています。周囲をよく観察し、自分自身の中に他人の姿・表現を取り込みながら生きてきた。
そんな彼女が、白羽さんが登場したことで
P65 そうか、だから治らなくてはならないんだ。治らないと、正常な人達に排除されるんだ。
と気づいてしまうシーンは、非常に苦しい気持ちになりました。彼女にとってはただ事実に気づいたと言うだけの話だったと思いますが、家族の言っていることがようやくわかったのに、解決できないなんて…個人的には、悲しいと思ってしまいましたね。
彼女はたぶん、十分頑張ってきたし、できることをやってきたのに、家族の求めるようにはきっとなれない。再確認させられた時には白羽さんのせいで(白羽さんのおかげで)古倉恵子は思考停止状態に陥ります。
しかし、それを経たことで、彼女はもう一度生まれ直します。
ここまで何度も登場してきた、「コンビニの商品や人の入れ替わり」ではなく、「古倉恵子の入れ替わり」が彼女自身に起きるのです。
「同じだけど、同じじゃない。」
「同じ古倉恵子だけど、同じじゃない。」
「結局同じコンビニ店員だけど、今までと同じじゃない。」
彼女にとっての生き方は、傍から見たら何も変わっていないけれど、今までとは違う心で生きる彼女はきっと幸せで、改めてコンビニで生きることが彼女自身の生の証明として輝く。清々しいラストとなります。
古倉恵子とその家族の行く末
この本の中では、主人公の共感・感情の欠落を障がいとしては定義していません。親はカウンセラーに会わせたりしたようだけれど、明確には診断名がなんであったのかを表現していませんでした。また、親が本当のところ、主人公に対してどのような感情で接していたのかもわかりません。
途中、妹が登場しており、彼女が親の代わりとして姉である古倉恵子のそばにいるような格好です。何も言うことができない親よりも強烈に、その意思を伝えてくる役であったと考えられます。
最後には、主人公は今までと変わらぬ生き方を選択する。それを家族はどうとらえるのか?今まで通り、がっかりし続けるのか?そこまでは描かれていないけれど、きっと古倉恵子は今前以上に自分のコンビニ人間としての人生を肯定できるようになっているはずです。何を言われても、揺らがずに生きていけることでしょう。
感想
P13 「どうすれば『治る』のかしらね」
母と父と妹はずっとそう思い続けています。序盤で親は関わりが薄くなり、妹が親の代弁者のような形で姉を”普通”にしようとする。
古倉恵子の立場で物語を読んでいると、家族の行動は非常に自己中心的な態度のように思えるけれど、きっと彼らも姉の人生を心配し、愛情を持ち、家族でいることを恥じてはいなかったでしょう。ただ、”普通”でないことを悲しく、残念であるように思っているのは間違いない。
「共感」や「想像」も能力で、個人差があって、こちらが提示する当たり前が常に相手の当たり前とは限らないのだということを改めて考えさせられました。
そして、白羽さんというキャラのなんと濃いこと!
世間の考える人間の姿、男性への期待、女性への期待、人生のスタンダード…すべてを強烈かつ的確な言葉で表現するものすごいキャラクターでした。
彼は古倉恵子という存在を一度ぶっ壊しますが、それでも彼女はコンビニに舞い戻る。彼女のこれからの人生にはいらない存在でしょうが、物語の先でいったい彼はどうなっていることやら…破滅していてほしいと思ってしまうのは、自分も”普通”だからなのでしょうか。
まとめ
- コンビニを舞台に”自分”を確立させる女性のお話。
- 人生の中で、きっと人は何度も生まれ変わる。
ラストがどうなってしまうのか気になりすぎて、最後まで一気読みしてしまいました。ぜひ読んでみてくださいね。
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