1984
全体主義が支配する近未来社会への批判
今日ご紹介するのは、”1984(ジョージ・オーウェル 著/田内志文 訳)”という小説です。
発表されたのは1949年なのですが、今なお世界で評価され思想・芸術など多くの分野に影響を与えている作品とのこと。1998年には「英語で書かれた20世紀の小説ベスト100」に選出されたそうです。
当時の東西冷戦中の世界情勢から、作者は何を感じ取り、世界の行く末をどう描いたのか?初めはとっつきにくいかもしれませんが、中盤以降は特にドキドキが止まらない、残酷な物語に仕上がっています。
こんな人におすすめ
- 戦争題材の物語に興味がある人
- SF要素のある物語が好きな人
- 長編小説の名作をお探しの人
概要
おおまかなあらすじ
1984年、世界は<オセアニア>、<ユーラシア>、<イースタシア>の3つの国に分かれていた。主人公であるウィンストン・スミスはオセアニアに属するロンドンに住み、ビッグ・ブラザー率いる独裁党に所属して働いていた。彼は真実省の党員として過去の改変に携わり、真実を捻じ曲げる仕事をしていたが、彼自身は心の奥底に「昔とはどんな日々だっただろうか?オセアニアの敵は本当は誰なのか?党に心酔する子どもたちは異様ではないのか?どこかに同志がいるのではないのか?」という気持ちを隠していた。生活はすべてテレスクリーンによって監視されていたため、万が一見つかれば死刑か強制労働所送りは確実だ。
戦争は平和なり
自由は隷属なり
無知は力なり
を掲げ、毎日繰り返される”敵”へのヘイト…重苦しい毎日の中で、彼は同じ党員であるジュリアと出会い、自分を肯定し、愛欲に沈んでいくのであった。
しかし、それは終わりの始まりだった…
※以下、ネタバレありですのでご注意ください↓↓
皮肉たっぷりの反全体主義論
主人公であるウィンストンが所属する党では、4つの省庁がありました。
真実省:報道、エンターテイメント、教育、芸術の統括。
平和省:戦争を司る。
愛情省:法と秩序を維持する。
豊穣省:経済にまつわる業務。
読んでいくとわかるのですが、これらはすべて「反対の意味」が込められています。
真実省は真実を捻じ曲げて過去を改変し、あったことをなかったことにするのが仕事です。平和省は戦争をしまくっているし、愛情省は愛を壊すのが仕事。豊穣省は食糧の不平等を守るためにあるような仕事でした。
特に印象的なのは、オールドスピーク(古い言葉)をなくして、ニュースピーク(新しい言葉遣い)に修正するというもの。
P70 言葉の破壊というのは、実に美しいものだよ。膨大な無駄があるのは言うまでもなく動詞と形容詞だが、削除してしまっていい名詞だって、何百と存在しているんだ。
という言葉には非常に心臓が揺れました。(ウィンストンの友人(?)である調査局で働くサイムの言葉)
数々ある言葉の表現は、それだけ人の表現を自由にする。そこから壊して、人間たちをまとめあげようとすることが…おそらくできてしまうだろうと想像できてしまうから怖い。
必要なことは、これからも国が人を管理して維持されていくことだけ。おそらく、現代の私たちはそれを望んでいないのですが、そうなってもおかしくないなというくらい、世界の技術や技巧はとんでもないことになっていますし、相変わらず戦争は続いています。
物語の舞台である1984年の時点で、世界はかなり統制がされています。特に党員たちの生活はテレスクリーンによる完全監視のうえ、子どもの有無も管理されている状況です。
しかし、時代は完全には移り変わってはおらず、ウィンストンのように現状に対して疑問を抱いて生きている人間が一定数存在しているようでした。過去と、これから起こるであろう未来の狭間に在るような状態で、反逆者は淘汰されようとしています。
P80 もしや記憶を持っているのは自分ただひとりなのだろうか?
不安を抱きながら、それでも過去のことを知りたい・真実を知りたいと密かに行動を続けているウィンストン。そんな彼に、若く美しい女性ジュリアとの出会いが訪れます。これが転機となって、彼の生活は一変していきます。
奔放な女性ジュリアがもたらす欲望と終わり
ジュリアはウィンストンを気に入り、禁断の逢瀬へと誘います。
P163 あなたを見た瞬間、あいつらに反感を持ってるって確信したのよ
ウィンストンは39歳。一方のジュリアはまだ20代後半の若い女性でした。彼らはすぐに肉欲を愉しむようになり、テレスクリーンの監視を逃れて過ごす場所も確保していきます。
ジュリアは確かにウィンストンのことを好きなようでした。しかしどちらかというと、奔放な自分を相手にしてくれる、都合の良い時に会える相手を求めているような女性で、党に対しての反抗心は持っていたとしても、それを転覆させてやろうと考えるほどの意志は持っていない人です。
党の中軸だけが持っている昔の遺産。おいしいワインや食べ物をちょろまかし、その時だけの幸せを楽しんで生きる。それがジュリアでした。いつまで続くかわからないからこそ、今を楽しんで生きていたいという人間の象徴的存在です。
しかしウィンストンは少し違います。確かにジュリアとの日々は彼に今までなかった感情をもたらしてくれましたが、彼は自分の疑問を解消して真実を知り、党が転覆するような事象が起きることを望んでいました。そのために自分ができることがあるんじゃないか、反逆の力になれるんじゃないかと考えている。
その気持ちがさらに強まってきたところで、オブライエンという党中軸の男からの接触がありました。ウィンストンは、とうとうその時がきた、反逆の一員となる時が…!と心躍らせます。これが終わりの始まりでした…。
オブライエンという男
オブライエンは、党中軸に存在する人間でありながら、党の転覆をもくろんで同志を集める人間として登場します。彼と接触したことで、ウィンストンの人生は破滅させられ、そして再構築されていきます。
この再構築が…本当にえげつない内容で、しかしおそらく、どこかの国ではやっているんだろうなと思わせるリアリティがあります。人間の精神を破壊し、新たな価値観を植え付けて生まれ変わらせる…そんなことはどうやらできてしまうらしい。
人はどうやったら絶望するか?
どうやったら信念を砕くことができるか?
命令に従わせるにはどうするのが効果的か?
残酷なまでの手法がぐいぐいと心を締め付ける、非常に嫌なシーンです。
最終的にウィンストンはどうなってしまったのか?
これはぜひ物語を読んでみてほしいと思います。
反全体主義のバイブル
P411 オーウェルは政治的な激流に世界が翻弄された時代を生きた作家
として紹介されています。
彼は過去の戦争や国の在り方、人間の在り方、平和とはどのような状態なのかという深い洞察を残してくれており、1949年までの世界でこれほどのことが想像できていたのだなと思うと、驚きを隠せません。
この本の中盤以降で、世界の真実としてウィンストンが分厚い本をゲットします。そちらの中で国家や支配についてかなりの長文で語られているのですが、これは著者の知識と思考なのでしょう。
通信手段、マスメディア、武器の発達…国家による国民の監視や扇動が可能な状況。
どれも、この本の発表当時からいくらかはあって、今もそれは進化し続けている。増えたか、減ったか、よくわからないところですが、確実に世界は昔とは違う様相を呈していて、良きことに利用されるよりは、何か人間というものにとって悪しきことに利用されることのほうが多い気もしてしまいます。
正直なところ、読後感はあまり気持ちの良いものではないと思います。
400ページを超える本ですから、読むのに時間もかかることでしょう。
前半のウィンストンの苦悩や、ジュリアとの愛欲があってこそ、後半の破壊と再構築がより心臓をえぐる構成になっていると思いますし、時間をかけて読んでみる価値があるのではないでしょうか。
感想
著者はどんな世界だったらいいとか、そんなことを本の中で述べているわけではありません。今、自分だったらどんな世界になってほしいか?どう生きていったら納得できるか?常に考え続けて、見つめ続けたいと思いますね。何かを遺そうなんてことはできなくても、関わる人たちと共に、幸せであろうと努めたい。そんな考えに至りました。
この本の中の世界に比べたら、きっと今の世界は自由だと思うし、ジョージ・オーウェルさんが悲観したほどには世界は悪くなっていないと信じています。それは過去にがんばってくれた人がたくさんいて、それを享受しているのが自分たちなんだなと感じました。
もしかしたら、私たちのいる現代がウィンストンが生きた狭間のようなタイミングで、これからはもっと監視されたり管理されたりして生きるのかもしれない。幸せすらも管理されてしまうのかもしれない。そんな怖さもよぎりますが。
だからこそ、日々の幸せをもっと大切に。
そんなことを考えました。
まとめ
- 思想警察が見張る世界で生きる男性の苦悩の小説
- もし今自由でないと感じたら、読んでみてほしい
- こんな世界よりはきっといい
長く読み継がれている名作。ぜひ読んでみてください。
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